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えありす万華鏡*
ゲーマー・イラストレーター・音楽家、時に愛国者。どれも自称だけど。万華鏡のようにクルクル変わる日々をえがきます。since2001.9.18
西日本周遊の旅by車<3>
<1日目>

午前中に出発し、岩国のホテルまで約320キロ。

ruto.png

岩国にたどり着くだけの日だった。
下関から先の国道2号線がそこそこ混んでいた。


関門トンネルを何度も渡っているのに全く記憶がなく、こんなちゃっちいのかと。
道路は狭く、天井も低い。
当たり前。
できた時代を考えたらこんなものなのかも。

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この道路は何度かリフォームされながらもかなり古い。


開通、1958年。
長さ、3461m。

海の下、56m〜59mを走っていると思うとゾクゾクした。

通行料は160円。
150円から値上がったとか。

あの時代、海の下を掘っていく作業。
大変だったろうね。
ドキュメンタリーを見たけど水が染み出て来るのに一番困り、トンネルの下にまたトンネルがありそこから排水したとか。

すごいね。

鉄道は昭和17年に開通していたというから驚き。

トンネル掘削は大変らしく、英国とフランスをつなぐドーバー海峡トンネルも日本の技術が使われ難しい場所には日本の企業が担当、とか。
さすが、日本。

とにかく走る、走る、走る。

本州に入って2号線をひたすら東へ。

宵闇迫る道を岩国を目指す。

IMG_20191111_172905.jpg


コンビニで何やら買って、岩国のホテルに到着。
ビールとコンビニつまみ、ご飯を食べ風呂に入って寝るだけ。

マイ枕持参でなんとか。


<二日目>

朝、錦帯橋へ。
寝つきが悪いわたしは早起きが苦手。
でも、そうは言ってられない。


錦帯橋はわたしは二度目。
1度目は、大阪から修学旅行で。
夫は初めて。

錦帯橋はなぜすごいかって、このアーチ。
石を築いて橋桁に。

城下町とお城を結ぶこの橋。
「大工」が大活躍。
つまり、大工が設計図を描きそれを工事できるほどの力が1600年代にはすでにできていた、ということ。
大工という職業が重宝されていた。

士農工商、というが百姓は「百の姓」というぐらい、田んぼを耕しながら他の職業もした。
なので、おそらく「士」と「農」がメインだったのでは、という説も。


岩国の基地から空自の戦闘機が離発着の訓練をしていた。
空の護り。
ありがとう。

大昔、この橋のたもとで兵学校の制服で同期との写真が一枚だけ残されている。
岩国にも分校があったらしい。
父はずっと江田島で過ごした。


とりあえず、父と同じような場所から写真。
後ろの山の上の小さなお城が岩国城。

kita.png

朝のすごい日差しなので、100円ショップの真珠風チェーン付きサングラスをかけてるけど、あの人のように決して資料館や観劇でサングラスはしませんわ。

指出し手袋もしてるけど、あの人のような決して妙なものはしていません。
380円の指出し手袋にビーズとレースを縫い付けてぷりちーに。
でもこの手袋、…車の中のブラックホールに…見失った
どこかの駐車場に落としたのかなあ。



石がごろごろしている河原。
足首をグキっとして靭帯損傷でもしたら笑えない。
足首の靭帯損傷は得意。両足合わせて4度ほど。バレーボーラーの宿命か。
ぐらぐらしながら慎重に歩く。


駐車場は無料が河川敷にあり。

途中、携帯を拾ってその辺に預けた。
だから、旅に出る時は手帳式に着せ替えしてフックを手首にかけてる。

いつもはこれ。携帯の背中にシールを貼って半透明のカバーを。


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錦帯橋はさらっと流してさらに東へ。今日のメインは海軍兵学校跡

広島市内を通り抜け呉方面へ。

広島は100万都市。
100万人を超えている。
大都会。

川が山から何本も降りてきて扇状地ができている。
その中の三角州のようなところに原爆記念公園があり、その対岸に原爆ドームが。
今回はパス。
夫は広島は通っただけで原爆ドームにも行ったことがないそうだって。
なぜか長崎には2度も行って、それが小学と中学の修学旅行というものだから笑った。


広島は修学旅行で一度。次は伯父夫婦が住んでいたので一人で行ったこともある。
広島に滞在するのは3度目。

街中はどこも大通り。
どこまで行ってもビル。都会だ。
その広島市内を通り越し呉へ。

呉はもともと軍港。
そして造船。
もちろん、大和を作った場所。

呉市を通り越す時に、大和ミュージアムを見ながら一路「海軍兵学校跡」へ。

その日は火曜日で、大和ミュージアムは休館

実は、1日でこの二つを巡ろうとしたけど、結果別々にしてよかった。
移動時間などを考えると一気には無理。

岩国----海軍兵学校---広島市内一泊----大和ミュージアム---出雲

というコースを考えた。
江田島は橋を通り呉市の対岸へぐるっと回る。
呉からはフェリーも出ているのでそれもいい。

広島市、呉市、とても混む。
ナビの道路がオレンジ、赤くなっているのは混んでるという合図。

kure.png


なぜ、わたしは海軍兵学校跡へと行くのか。

父がそこで過ごした、というのもあるけど自国の近現代の歴史を調べると必ず当たるのは、大東亜戦争。

調べていくと、いかに若者たちが自国を守ろうとしたことがわかった。
トランス状態になっていたのかも知れない。
「洗脳されていた」と言う人もいる。

洗脳されようが、なんだろうが、連合軍が攻撃してきていることには間違いない。
では、戦うしかないだろう。
それとも降参して滅ぼされたいのだろうか。
我々婦女子が大変な目に遭ってもよいのだろうか。


母親、姉妹をそんな目に遭わせないように、戦った日本男児。
1日でも長く硫黄島を戦ったのは、家族が疎開する時間を作りたかったから。


その若者たちが生きたその地に立ち、過去に思いを馳せる義務があるような気がした。

そういう地は日本のどこそこにあるけど、まずは自分にゆかりがある場所を、と。

すぐ「戦争ガーーーーーーーー」という「平和ボケな」人がいるけど、戦争はする時はせねばならない。

戦争放棄、ではなく「戦争ができる国」でなければ危険であることは論理的にわかるはず。

弱肉強食の世界で戦うことをやめたら終わり。

「平和」と口にすれば平和がやってくるのか。
「戦争放棄」と憲法に書けば戦争が日本を回避してくれるのか、と。

ならば、世界のすべての国の憲法に書けばいい。
書かないのはなぜ?

と、論理的思考をすれば簡単に理解できる。



日本がいかに戦ったか…

戦いには間違いもある。それはどこの国も同じ。
だけど、それを当時にとって未来にいる我らに責められようか。

知るべきは、いかに雄々しく日本人が戦ったのか、ということ。

そしてそのくらいの気概がないと今も未来も国を守ることなどできない。
それを認識すべく、わたしはその地へ向かった。

つづく





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▼今夜のおかずから猫のハナシ。
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