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えありす万華鏡*
ゲーマー・イラストレーター・音楽家、時に愛国者。どれも自称だけど。万華鏡のようにクルクル変わる日々をえがきます。since2001.9.18
無事帰国願います
 【パロ共同】秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま(12)は24日(日本時間同日)、
  私的旅行先のブータンから民間機で帰国の途に就かれた。
(8/24(土) 17:47 共同通信)

とのこと。
どうぞ無事のおかえりを。

ブータン訪問は最後の数日、全く報道が出ない。
つまりここからが本当のプライベートなのでしょう。
国賓レベルでもてなされ、王室専用のカメラにおさまり、王室がツイッターで画像をあげ配信。

いい時代に。
マスコミが撮った画像を恣意的におかしげな瞬間を出したりすることは今までごまんとあった。

今まで、秋篠宮家がどんなに公務をしても「報道しない自由を行使」してきた。
なのに急にマスゴミたちは「自分たちにスケジュールを発表しないーー勝手な人たちだーー」と文句言ってるとか。

そんなマスゴミに画像なんかとらせるものか、と思ったかは知らないけど報道はブータンの公式からばかり。

未来の天皇と国王のツーショットなど絶対に日本のマスゴミには撮らせない。
そして出してくれるブータン。よかった。帰国の途のニュースもブータンから配信。

これは、博物館のフェイスブックから。

通・訳・無・し・!

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通訳がいても「通訳無し」と強調しなければならないあのコンビとは大違い。

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相手国の民族衣装を身にまとい王族と話しながら博物館を歩く…

ね〜わのあの人、過去、見たこともないしこれからもないでしょうね…

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通訳なし!
ブータンの王室の人たちは英語が堪能。
博物館の学芸員も英語。
なぜなら高等教育はブータンの言葉では受けられないから。

日本語は森羅万象を表すことができるので日本語でいくらでも勉強も研究も。

例えば、こういう特殊な場面で話されるのは英語での専門用語。
それも知っておかねばならないので、事前にかなり両殿下は勉強していかれると思う。
だから、殿下が悠仁親王に説明をされたり、また紀子さまが悠仁殿下に教えてあげているシーンが。


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メモを取られる秋篠宮殿下。
こういう場面多いですね。さすが。
こういう父親の姿をそばで見て親王はいずれ天皇に。
これが生きた帝王学。

悠仁殿下は何かを紀子さまに話しておられるのか、紀子さまは笑ってなにかを。

秋篠宮殿下は、どんな場面でも事前に勉強して質問はピンポイントだとか。
「殿下がお詳しくて驚きました」と案内する人の感想。

「背景がきれいですね」
「描くのにどのくらいかかりましたか」
「とても大きいですね」

こんなバカな感想を述べる長男さんコンビとは全く違う。
おかしいですね。帝王学を受けてきたはずなのに。
帝王学を学んだはずなのに車の荷物席。


*国獣ターキン。
真っ先に登ったんですね。
親王殿下のワクワク感が伝わる画像。
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ラバ(ミュー)に乗って山登りや、民族衣装『ゴ』で前の国王との面会。
画像はないですけど、いつか出るのでしょうか。


まずはバンコクに戻りまた一泊かしら。
そして羽田へ。

最後の3日は完全プライベート。
最初は完全に国賓としての公務。

秋篠宮家の私的旅行。

どっかの3人の、駅前お手振りが公務。
その後、プライベートで呼び寄せたお友達や「自称・准皇族」の妹一家を呼んで贅沢三昧、どんちゃんさわぎ。
近くのホテルでご馳走ディナーを税金でふるまってるんでしょう。(多分、今までの所業から想像するのは簡単。ディズニーエリアほぼ貸切ではちゃっかり妹一家が)


兄一家。
弟一家。

雲泥の差。

どうぞ、無事でおかえりやす。



記憶の上書き・ショートトリップ100km
母が生きているうちに、田舎の土地などのことの整理の指標とするために県南の市役所に出かけた。
この役所は父が亡くなった時にも来た。

夏のカンカン照りでない日。よかった。
カンカン照りの運転はこたえる。
自分の実家関係には夫は不要。
久しぶりの長距離運転。
車用に集めたゲーム音楽のメモリースティックが活躍。


税金を母が長年払ってきても名義が祖父(わたしが生まれるずっと前に他界)のままであったりする可能性もある。

というのもわたしのうんと年上の従兄弟が何かの時に「その土地は俺にも権利がある(祖父の孫だから)」とか言ったことがある。
「税金を長年払ってきたのはうちだ」と言ったら引っ込んだ。

母名義とわかっているのもあるけど、祖父のままの場合もある。それも調べたい。

しかし、市役所の見解は
・土地などの名義に関しては役所はデータを持たない。
・持っていても個人情報なので提供はできない。(個人情報ってわたしは直系だけど)
とのこと。

結局、誰の名義になっているか
は法務局に行くしかないことを知っただけだった。
あとは実家のガサ入れをして登記簿を探す。

収穫は「宅地バンク登録」ができたこと。
登録だけ、だけど。

ばあちゃんが「昭和の一桁の時代、子供がすでに6人もいるじいちゃんの後妻(おそらく後妻業か)にきてずっと生きてきて」倒れ、そのまま亡くなるまで住んだ家。

夏になると東京や大阪から帰省(わたしの故郷ではないので帰省かどうかは不明)した家。
水着のまま浮き輪を巻きつけたまま走って行った。
父の実家は祖父が亡くなってからは親戚のものになっていて帰省する場所は無くなっていた。

家は祖母が亡くなった後すぐに「解き」更地に。

祖母の家の区分は「宅地」
どうしたもんか、と思っていた。

そこで昨年ぐらいから始まった「空き家」「空き地(宅地に限る)」バンクに登録してきた。

移住したい人などとの仲介をするシステム。
「都会に嫌気がさした」「どこかゆったりと過ごしたい」と思う人が役所のHPを検索して申し込む。

テレビで「ぽつんと」とやってるアレ。
「この家は役場の紹介で」というシステム。
あれはほんとポツンと。あれだと子供の学校とか困りそう。

祖母の家はポツンとではなく、近くに大きな道路も整備されたそこそこ昔は栄えた漁村の集落。
海も近いから釣りなどをして過ごしたい人、食べるだけの畑もしたい人にはもってこい。
さらに送り迎えの要らない近場に学校もある。
バスも通るしバスに乗れば駅まで行く。


この家の他には「農地」や「山林」があって税金の住所ではググっても出てこない。
山林などどこにあるのかさっぱりわからない。
母に聞いても「あそこの道を…わからん」。
そりゃそうだろう。戦前、もっともっとずっと前からのこと。


ずいぶん前、一度だけ母も記憶のある畑の場所を見に行った。
当時、行くと境界線の印もちゃんとあった。道を作るために行政に差し出した土地もある。

県南のその役場からそのまま帰ろうと思ったけど、ちょいと足を伸ばして祖母の家と畑を見てみようとハンドルを切った。
記憶を辿るショートトリップ。

でも、新しくできたバイパスに入ってしまって集落に入り損ねた。
記憶がすでに曖昧。
周りも変わっている。標識が頼り。

「携帯のナビモード」を見なくても平気だろう、とたかをくくっていた。


あ、と思い止まってUターン。
集落に入り込む狭い道路に入った。

記憶をたどりながらゆっくりとゆっくりと。
目のスクショで記憶を上書きしながら。

目の前の景色を検索しながらそろりそろり。
たどり着く見知った景色。

ほとんど誰も通らない道の横に車を停めて祖母の家跡地まで歩いた。
曇天のせいもあるけど辺りはすっかり寂れている。
でも、海が見える景色はあのまま。護岸工事をしてちょっと変わっているけど遠くに見える小さな島は昔のまま。

更地はすでに緑にすっかり覆われ、向かいの昔の村長、後の県議会長さんだったという家は無人。

写真を撮って高台の畑へ…

え?とどこだっけ…
どこから高台に上がるんだっけ…
学校のそば。
えっと…

歩く人は誰もいない。

マゴマゴしていたら、通りの家から杖をついてお婆さんがでてきた。この年齢なら絶対にうちを知っている。
車をとめ、窓をあけ尋ねた。

「**(わたしの旧姓)ですが…」

お婆さんにとっては唐突。
お婆さんは遠い記憶を辿って…

「ああ!***さんの……よう知っとりますばい」

事情を話すとうちの畑まで案内すると言う。
よく知っている、と。
助手席に乗ってもらい畑へ。
写真を撮り、母に見せるためにお婆さんの動画もとる。

車の外で詳しい事情をきく。
そして、うちとそのお婆さんの関係を知る。

*うちの母と同世代だからうちの母を知っている。
*祖母も知っている。うちの事情もよく知っている。
*となり村から10代で嫁にきたので母のことは母がその地を出るまでは知っている。
*70年、村のことをずっと知っている。
*精米所をしていた。

畑を確認するとお婆さんの案内で海の方へ車をそろりそろり。

わたしが海水浴をした海辺も様変わり。
昔ながらではない。海苔を作る工場、乾燥する工場がちょっと寂れて建っている。
海苔はすでに1軒しか作っていないそう。

小さな舟がどこそこに揚げられている。

石塁のそばにうちの母の幼馴染の家がある。
むかしは帰省したら必ず寄らせてもらった家。
漁師さんの家で、小さな船に乗せてもらったことも。
そこの一番下の娘はわたしと同い年で、人生の中で数回しか会ったことがないけど親同士の関係で今も年賀状のやりとりはしている。

そのお婆さんが

「ほら、ここは**ちゃんちたい。車ば停めて寄って行こう」

「え?」

「よかよか」

母は小学校卒業後、熊本市内の女学校に行ったので**ちゃんとは小学校まで一緒。
貝掘りをしたことウチワを持って海に向かって「空を飛べる」と信じて跳んだこと、などなどいろんな昔話を子供の頃きいていた。

お婆さんがガラっと戸を開け、
「**ちゃ〜〜ん、おるとだろ」と。

母は同窓会などで会うこともあったらしいけど、わたしは最後に会ったのはいつかそれすら記憶にない。

でも会うとあちらはわたしが小さい頃から知っているし、母から話を聞いているのでその時間は一気に縮まる。
こちらも心臓の手術や大腸ガンをしたことなど聞いていた。すっかり痩せていた。
母のことや近況の話を話したりした。

「今度涼しくなったら母も連れてきます」

と言って別れたけど「今度」という言葉ほど曖昧なことはない。
でも、本気で連れて行こう。故郷を見る「冥土の土産」。

そういえば父に「故郷を見せる冥土の土産」は持たせなかったなあ。
病気だったし。



思いがけない小さな邂逅。
そして記憶の上書き。
村を出た。



家路につきながらトイレ休憩もあって、徒然に色々寄ってみた。

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*三角港の巻貝の建物。

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*明治時代の産業の世界遺産の『西港』。
『万田坑』と共に指定された。

1887年(明治20年)
明治政府の殖産興業の政策に基づいて、オランダ人水理工師であるローエンホルスト・ムルドルの設計により築港。

ここは、『坂の上の雲』のロケ地に。
この近くにある「法の館」という旧三角簡易裁判所は「るろうに剣心」のロケ地にも。
万田坑もロケ地に。
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新しく掛け変わった天草5橋の第1号橋(左のアーチの)を望む。
昔は有料だった。
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*宇土マリーナ

おか揚げされているヨットたち。
大きいのもあれば小さいのも。
クルーザーも。
昔、親戚のクルーザーで沖に出て魚釣りしたことが。
グチしか釣れず。

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マリーナに置いてある『古代船』。
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ここから運んだとされる「大王の石棺」

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この実験後悔の出航の時には見に行った。
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ちょこ寄りのショートトリップ。

もう一箇所、「御輿来海岸」(おこしきかいがん)の石碑のあるところ寄りたかったけど、つい通り越してしまった。

12代景行天皇が九州に遠征時、干潟があまりにも美しかったので輿をとめて魅入ったという逸話の場所。

「遠征」つまり征服。地元に残る逸話。
*不知火に導かれ景行天皇が…
*山鹿の灯篭祭り。景行天皇の御幸を歓迎して。
*ヤマトタケル(景行天皇の息子)は成敗した相手「たける」をなのった。熊襲征伐。
おい!征服されてんじゃん。
歴史は勝者によって書かれるってほんとだわ。

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※県提供画像


お昼前に出て、帰宅したのが午後7時。
途中で地蔵祭りの規制や帰宅のラッシュにあった。
走行距離ちょうど100キロ。
距離はたいしたことないけど、イベントが多かったからそこそこしんどかった。

こうして記憶の上書きを兼ねたショートトリップはおしまい。





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えありす

Author:えありす
ようこそ『えありす万華鏡』へ。
ブログ主の『えありす』です。

▼今夜のおかずから猫のハナシ。
時にはオタクなハナシやクニのハナシもします。
万華鏡のように七変化をするブログです。

▼イラストも描いています。
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